こんばんは、ワタナベです。
久しぶりの投稿です。居ても立っても居られなくなりました。
書きたくなりました。そう思わせてくれました。
武蔵野大学の受入れについてです。
現在、加茂谷では5年前の洪水被害の頃から続いている
武蔵野大学との農業ボランティアを通した交流が行われています。
学生たちは熊谷町のクリーンピュアあなんで寝泊まりし(一部民泊あり)、4泊5日という日々を加茂谷で送っています。
毎年約80名の学生が、5班に分かれて加茂谷に入れ替わり立ち替わり訪れ、農業体験ならぬ農村体験をして帰っていきます。
私自身は武蔵野大学に関わらせて頂いて3年目になります。
つまり、今までに200名を超える学生と顔を合わせることができました。
武蔵野大学は全学部の1年生にフィールドスタディーズ(以下:FS)という学外学修を行わせます。
このFSは、日本国内、海外にも実習があり、国内では北海道や東京の八丈島など他にも様々な研修地域があります。
その中の一つとして、徳島県阿南市の加茂谷地区があります。
私は思います。
加茂谷が学生たちに与える影響はものすごく大きいということを…。
このFSの中での各班最後の夜となる4日目。
この日は学生たちがお世話になった農家さんであったり、世話人との交流会を行います。
毎年恒例で、この場では学生も世話人もすべての人が一言ずつ、
皆の前で一節を通しての感想であったり、想いを話し合います。
この会の中で、一番多く学生から出る言葉が「加茂谷に来てよかった」なんです。
僕が関わらせていただいた3年間を通しても一番多く学生の口から発せられたと思います。
たった5日間。一年の中でも一瞬で通り過ぎてしまうような加茂谷での実習期間。
このたった5日間の中で加茂谷は学生を虜にしてしまうんです。
ある学生が言いました。「最初FSで徳島県に行くのは嫌だった」「知らない人同士での共同生活が5日間も続くなんて考えられない」と。でも、この言葉は最終日に「加茂谷に来て本当に良かった」と言うための布石になるんです。なってしまうんです。加茂谷は学生たちにそう思わせてしまうんです。
そして、多くの学生が涙を浮かべながら「ありがとうございました」という言葉を絞り出す姿に、
こちらまで感動し、涙してしまうのです。
学生たちは、自分たちが加茂谷の人に色々なことをしてもらってばかりだったと言いますが、
実はそんなことはありません。5日間を通して彼ら彼女らが加茂谷に残したものは計り知れません。
それは、今年だけではなく、5年前から受入れを始めたときから、
そして、6年目、7年目とこれから先にもずっと記憶として残っていきます。
最後に、武蔵野大学の学生を一番虜にする彼について話そうと思います。
名は、イチローさん。加茂谷の中でも知る人ぞ知るボランティア精神の塊のような人。
なぜそこまでするの…??なんでそんなにも頑張れるの…??時々見ているこっちが不思議に思ってしまうほど、
実直で優しくて頼れる人。断ることはほとんどなく物事を肯定的に捉えることのプロフェッショナル。
できない、やらない、を彼の口から聞いたことがない。それ故にたまに一杯一杯になっているイチローさんを見ると、
微力で若輩者ながらも助けなきゃと思わされる。
とにかく一生懸命な人。
誰よりも学生たちを愛し、誰よりも学生たちにから愛されているイチローさん。
昨日70歳を迎えても元気ハツラツでかっこいいおじいちゃん。孫にも優しいおじいちゃん。
加茂谷には、イチローさんのように人を引きつけるブラックホールのような人たちが居て、
私は幸い、こういう人たちと関わらせていただく機会が多い。
自分を変える、変わるきっかけは結構人との出会いだったりする。
武蔵野大学の学生もきっと加茂谷に、また来たいと思えたはず。
加茂谷に来て、あの人に会いたいんです。そんな関係性が築けていたら、
私は最高だと思うのです。
おわり。
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